山に登ったことがない、馬に乗ったことがない、
外国に行ったことがない、働けなくなったことがない、
こどもを産んだことがない、いきものを飼ったことがない、
家族以外の人と暮らしたことがない、殴られたことがない、
故郷を奪われたことがない、戦争をしたことがない。
戦争を、したことがない。
休職や引っ越しといった筆者個人の生活と、世の中や世界の記録とが交わりながら、他者との関わりを思考するまなざしのドキュメンタリー。2025年1月~10月の日記と表題の散文を収録。
演劇が、音楽が、文学が、映画が、 写真が、絵画が、日記が
世界をよく見るための通り道だとしたら?
『生活の観客』と同時期の日記から、演劇や音楽、文学などにふれた7日間を纏めたエッセイ集。作品鑑賞を通じて、「それぞれの場所で暮らしていても、一緒に生きていると思えること」について思考する。登場作品にkanekoayano、ヴァージニア・ウルフ、大崎清夏、バストリオ、幽体コミュニケーションズ他。
時間のことを思う。未来のことを思う。
ここではない場所のことを思う。
過去の、わたしだったかもしれない人。
わたしたちの話し出すことには意味があると思う。
ほんとうに?
日記を毎日つけ始めて3年。自分のうれしくてさみしい生活と、知らない誰かの痛みが同時に存在する世界について日記を通じて問いかける、『生活の観客』の序章的作品。2024年1月~11月の日記と散文を収録。
人には人の親密さがあり、
わたしにはわたしの親密さがあり、
それがうれしいでもさみしいでもなく、
ある、ということがわたしをここに立たせている。
血縁、婚姻、恋愛、性愛、名前のない固有の関係性について思いを巡らせ、「親密さとは何か?」を思考した日々の記録。2023年6月~11月の日記と散文を収録。
日記の良いところは、どこから読んでもその人の続きでしかないところで、たった一日分を読んでも、一年分を続けて読んだとしても、その前も先も、日記に書かれている以上のことは何も知らないのだから、その人がそういう暮らしをしているということだけがただ肯定されていく。
前作『犬まみれは春の季語』の続きの日々。2022年4月~11月を収録。
もともと個人の日々が立ち上がってくるような音楽や映画や物語が好きで、それなのに、日記がその最たるもののひとつだということに、この日々を過ごすまで気づかなかった。ゆるやかな生活はやがて川のように、ここではない場所に流れ着く。
東京・下北沢の日記屋 月日のワークショップ「日記をつける3ヶ月」に参加した際につけていた2022年1月~3月の日記を収録。お互いの日記を読むことを起点に出会い、日記について話すために集まり、またそれぞれの暮らしへと帰っていく体験の記録。
All photo by Ryotaro Kurimoto