2025.12.23
馬が走っている
頭の中に、原初的なアニメーションの仕組みを思い描く。コマ送りよりももう少しなめらかに馬が走っている、イメージ。小さなスリットが入った円環の紙。くるくる回すと馬が走っているように見える。一日一日が通り過ぎていく。毎日ちゃんと違うことが起こるしそれを見逃さないようにしたいからちゃんと違う日付。けれど体調はずっとうっすらと悪い、横たわった視界から見える世界も良くならない。 また一日が進む。ここじゃない、どこか遠くで起きていることを想像する。朝ごはんを食べて、 仕事終わりに、 ふいに、気づいたらそのことに接続してからだが引き寄せられる。また一日が進む。一回でぜんぶは不可能。だから進む一日の、その瞬間にまなざす。一日中ずっとなんて不可能。だから終わる一日の、目を瞑るその一瞬にまなざす。同じからだ。見え隠れする馬、しかしそうして一日一日が積み重なることで速度は上がる。紙を回す手は止まらない、ぐるっと大きな円でつながっているので終わらない。書くことで一日一日が断続する。からだはずっとひとつ。隙間から、馬が見える、見えない、見える、見えない、見える。次第に馬が走り始める。走っても止まらない、走ったからこそ止まらない。見える、見えない、見える、見えない、からだはひとつ、見える、見えない、輪郭はほどけて、どこか遠くの誰かとふれる。その、断続する、絶え間ない、日々、の積み重ねが、書き留められて、書き留めることで、日々の隙間から、そのどこか遠くをしっかり見つめている。